「精密バイラテラル制御システム」は、精密メカ設計・高精度力覚センサー・精密加速度制御といった複数の技術の統合により、人間の器用さの限界を超えるマイクロマニピュレーションを実現するロボティクス技術です。
私たちは、「人とロボットが共存する未来」をテーマに、人間と同じ空間で、多様なタスクを自在にコントロールできるロボットの基礎となる様々な技術の研究開発に取り組んできました。その中でも、「精密バイラテラル制御システム」は、とくに高度な操作性や安全性が求められる医療の現場において人を支えることを想定し、力覚を伴うマニピュレーションの領域における最先端をめざして開発している技術です。
一般的に、2つの装置間で、動きの協調と力の作用反作用を同時に扱う制御のことを「バイラテラル制御」と呼び、「位置制御」と「力制御」を加速度によって制御する手法が共通のスキームとしてすでに確立されています。
私たちが開発する精密バイラテラル制御は、位置と力に対して1対10のスケール機能を備えています。操作者が手を10mm動かせばロボットの先端が1mm動き、ロボットの先端が1gfの力で環境と接触すれば10gfの力が操作者に伝わります。この10倍スケールの操作によって人の手では難しい細かな作業ができるだけでなく、脆い対象物であっても傷つけずに扱うことができます。自分の身体が10分の1のサイズになって、ミニチュアの世界に入り
こんで作業をするようなイメージです。
従来の手術では難しい広い回転可動域での操作をロボット技術により提供することで、外科手術における複雑な作業をより簡単にできると考えています。一般的に機構先端に回転軸を集約することで、ロボットを大型化せずに広い回転可動域を得ることができますが、我々のシステムでは後述する力覚センサーを搭載した特殊な先端ツールを用いるため、その力覚センサー部を確保する必要もありました。根本に配置したモーターのトルクをケーブルにより先端に伝達するケーブル駆動を上手く使い、力覚センサー性能を損なわずにヨー/ピッチ/ロール/把持動作をアーム先端部に集約することで、機構全体をコンパクトに抑えつつ人の手首並みの回転可動域を実現しました。
このような機構アイデアを導き出し設計に落とし込むプロセスも容易ではありませんが、我々が目指す精密バイラテラル制御に適したメカをつくるうえでは、下記の考慮も欠かせません。
特に機械的応答性を高めるためには、ロボットの可動域やサイズ条件を考慮しつつ、メカを軽量にかつ高剛性にする必要があります。軽量化と高剛性化は相反関係にあるため、試作を何度も繰り返して最適値を見つけるには相当な開発期間とコストがかかります。そこで、減速機やケーブル、軸受けといった機構の細部まで「バネマスダンパ要素」で表現した振動モデルをつくり、さらに制御モデルと融合させた独自のシミュレーターを開発しました。シミュレーターの中でトライ&エラーを高速に繰り返すことで、複雑な機構の最適化を短期間で行えるようにしました。
人体の柔らかな組織に触れた感覚を操作者にフィードバックするためには、ツール先端に加わる1gfの微小な力の変化をセンシングする手段が必要になります。これまで我々は、ツールユニットの根元に力覚センサーを配置し先端力を推定する方法をとってきました。精密作業するロボットの先端ツールは細径形状であり、既存の力覚センサーを搭載するスペースがないためです。しかしこの方法では、力覚センサーの先にあるツールユニットの慣性力がノイズとして観測され、先端力の僅かな変化を検出することができません。
この課題を解決するため、光ファイバーの一部に回折格子が刻まれたFBGセンサー(光学式のひずみセンサ)に着目しました。超細径なファイバー形状でありながらセンサー部のひずみ量を高感度に測定できる特殊なセンサーです。このFBGセンサーを用いてツール自体を力覚センサー化することができれば、従来悩まされていた動的ノイズを大幅に低減できると考えました。FBGセンサーをツールに対して正確に接着固定するための製造プロセスから、各FBFセンサーの歪量よりツール先端に加わる3次元の力を推定するアルゴリズムまで、試行錯誤を繰り返しながら独自開発することで、1gfの超高感度な先端力センシングを可能にしました。
2つのロボット間でバイラテラル制御を実現するために、加速度制御に基づいた運動制御システムを採用しています。外乱オブザーバを用いて力学系の最下位の物理量である加速度を制御することで動作のロバスト性が担保され、それにより位置追従動作と、外部環境との接触動作を両立することができます。さらに、人の手先の精度の10分の1のスケールでの精密操作を行うには、常に安定した動作と小さい力を正確に伝達できる高い応答性が求められます。
しかし従来のアルゴリズムでは、ロボットの姿勢変動に伴うモデル化誤差による影響を受けてしまい、操作中の位置追従性能の劣化や、外部環境への接触時の振動が課題として生じました。この課題に対しては、GID(Generalized Inverse Dynamics: 一般化逆力動学ライブラリ)というソニーの技術アセットをアルゴリズムに組み込むことで、解消しています。GIDとは、ある動作を実現するために拘束条件を考慮しながら最適化計算を行い、ロボットの駆動量を算出するモデルベース制御アルゴリズムです。GIDを用いて、あらかじめ推定可能である姿勢変動に伴う駆動量を逐次算出しフィードフォワード補償することで、バイラテラル制御の応答性能が向上し、課題を克服することに成功しました。これにより、GIDによる高い応答性と、加速度制御によるロバスト性を組み合わせて、安定的に精密な動作が可能な制御システムを開発しました。
精密バイラテラル制御システムを支える電気的処理では、プログラム可能な集積回路であるFPGA(Field Programmable Gate Array)を採用することで信号処理速度を高め、通信遅延やノイズの影響による制御の不安定性の排除を実現しました。
人の手先の精度の10分の1のスケールでの精密バイラテラル制御システムを実現するためには、各種電気信号の高速なリアルタイム処理が必要不可欠です。従来、これらの信号処理はホストPCの汎用CPUに実装していましたが、通信遅延やノイズなどの影響により制御システムの要求仕様を満たすことができませんでした。そこで、電気的処理の一部を高速並列処理に適したFPGAに任せることにしました。FPGAは内部ロジックを自由に設計可能なLSIであるため、ロボットの運動制御に最適な回路構成を実装することができます。
これまで各種センサーやモータードライバなどのハードウェアとのインターフェースと信号処理アルゴリズムはソフトウェアで実行していましたが、これらをFPGA上で論理回路を実装し、あわせてホストPCとFPGA間の通信のための独自プロトコルを開発することにより、従来システムよりも50倍の高速化を実現しました。また複数のFPGAを光ファイバーでカスケード接続することにより、リーダーロボット・フォロワーロボットで構成される精密バイラテラル制御システムのような多自由度システムに対しても遅延の少ない信号伝達が可能となっています。これにより通信遅延とノイズの影響を小さくし、大幅な制御性能の向上に成功しました。
これまで述べてきた複数の要素技術を1つのシステムに統合するにあたり、人を超える精密操作を実現するための性能目標として「位置精度10um」「力精度1gf」「介在質量50g(快適な操作ができるための指標)」の3つを定めました。しかし、これらは相反関係にありすべてを同時に満たすことが困難でした。そこでメカ・電気・制御の技術を横断的に扱えるシミュレーション技術を用いて、そこに独自の評価指標を設けることで最適なシステムを算出しました。この全体最適設計によって、すべての目標値をバランスよく備えたシステムを開発することができました。
外科医療の現場における手術支援ロボットの導入は進み、臨床実績も増えてきています。高精度のアーム操作により、傷口を最小限に抑えた低侵襲手術を実現し患者の負担を減らすとともに、直感的な操作により医師の負担軽減にも貢献しています。一方で、これらの従来の手術支援ロボットは、視覚に頼って操作する装置となっているため、力の感覚が使えません。
精密バイラテラル制御システムが、手術支援ロボットとして実用化されれば、医師が動きと力の感覚を共有しながら手術支援ロボットを扱うことができるようになります。視覚だけでは扱うことが難しい血管や神経など、体内の脆弱な組織を安全に扱うこともできるようになります。手術ワークフローは非常に複雑ですが、技術に求められるのはこれを安全でかつ低侵襲な手技に発展させることです。そのために、医師をはじめとする医療従事者との連携や、医療技術を保有する社内外のパートナーとの協力を進めていきたいと考えています。
社会実装の第一ステップとしては医療分野を想定していますが、バイラテラル制御技術は、人がロボットや機械を介して作業を行うさまざまな場面で利用することができます。現在のシステムはロボットアームが人の10分の1のスケールで精密な動きをしますが、この倍率を逆にすると10倍の大きな動きと力が生み出されます。宇宙や災害現場、海底など極地(極限空間)での作業を人が力の感覚を使って遠隔操作させることや、介護などの居住空間での作業するロボットが力を使って安全に作業するために、この技術を応用することができます。
ソニーにはロボットだけでなく多方面に優れた技術者がいます。それら技術者たちの知見を統合して新しいロボットを作り上げ、医療などで社会貢献できることに大きな意義を感じています。また、自らが課題を設定して時間をかけて開発できる点もソニーの魅力の1つです。
研究開発に対する柔軟な協力体制と、要素技術開発から社会実装まで一気通貫でできる体制を持っていることは、ソニーR&Dセンターならではの特長です。これからソニーで研究開発を目指す若い人たちにも、ぜひ社会貢献につながる研究開発を目指してほしいです。