『果てしなきスカーレット』をつくる最初の動機は、ハムレットをやろうという発想からではありませんでした。最初にあったのは、社会の変化を目の当たりにした時の言葉にならない不安です。この作品の企画が動き始めたのは、コロナ禍がようやく明けようとしていた頃であり、やっと日常を取り戻せると思った矢先に、各地で紛争が始まった。あの時、世界はまた深いトンネルに入り込んでしまったように感じたのです。経済の相互依存が進み、戦争という選択肢はもはや時代遅れだと、人々はどこかで信じていた。けれど現実は、それをあっさりと裏切っていく。そうした社会を見つめるうちに、報復や憎しみの連鎖がどこまでも続いていくように思えてきました。どちらが正しいということではなく、どちらの側にも許せないという感情が存在する。その感情がまた次の争いを生み、永遠に終わらない輪を描いていく。その構造に、何か大きな問いが潜んでいると感じたのです。
復讐の物語とは何なのか。人はなぜ、報いを求めずにはいられないのか。その問いを掘り下げていく中で、思い至ったのがシェイクスピアの『ハムレット』でした。『ハムレット』は、世界でもっとも有名な復讐劇であると同時に、「復讐とは何か」、「それは人を救うのか」という根源的な問いを抱えた物語でもあります。主人公は父を殺された青年でありながら、単純に敵を討つことに踏み切れない。理性と感情、怒りと良心の間で引き裂かれ続ける。その葛藤こそが、人間の本質を映していると思ったのです。現代社会の中にもまったく同じ構造がある。正義と正義がぶつかり合い、報復が終わらない。それが、私たちの生きる時代です。だから、『ハムレット』という古典を題材にしながら、そこに現代の痛みを重ねようと発想しました。古典をなぞるのではなく、「もしハムレットが今の時代を生きていたら、彼はどう行動するのか」、その問いを通して、現代における復讐の意味を描きたかったのです。
この作品は、単なる翻案ではなく、古典の精神と現代の現実が交差する場所を描く試みでもあります。変わってしまったものと、変わらないもの。その両方を見つめ直すことで、人間という存在の輪郭をもう一度確かめたかったのです。
この十年ほどで、アニメーションを取り巻く環境は大きく変わったと思います。かつては日本のアニメーションというのは、国内で完結した文化でした。アニメーションを愛するファンがいて、ある種の「内輪の熱量」で支えられていた。けれど今は、配信プラットフォームの広がりによって、世界中の人たちが同じ作品を同じタイミングで観られるようになった。その変化は、創作の現場にも確実に影響を与えていると思います。
日本のアニメーションが世界で広がったのは、ローカライズされたからではなく、むしろ日本そのままの形で届いたからだと思っています。日本の生活感や空気、感情の機微、そういったものが翻訳を超えて伝わっていった。それはとても大きな出来事であり、アニメーションは、文化の違いを越えて人の心に届く表現であるということが、証明された瞬間でもありました。
今では、世界の若い観客が日本のアニメーションを自国の作品のように受け取ってくれている。かつてはありえなかった光景です。このグローバルな広がりは、単に市場が大きくなったという意味ではなく、作品の「受け取られ方」そのものが変わったということであります。つまり、アニメーションが特定の文化のものではなく、人間の普遍的な感情を描く表現として認識されはじめたということだと思うのです。だからといって、「世界に通用する作品をつくろう」と意識しているわけではありません。私はあくまで、いまこの時代に必要だと思う物語を、誠実につくっている、それだけです。結果としてそれが、国や文化を越えて共鳴する。そこにこそ、アニメーションという表現の本当の力があると思うのです。
とても大きな変化を感じました。今回の『果てしなきスカーレット』は、東宝とソニー・ピクチャーズが共同で配給を担当してくださいましたが、プロモーションの規模もスピードもこれまでとはまったく違うものでした。東宝の宣伝体制とソニー・ピクチャーズのグローバルな展開力が交互に動いていくような形で、正直、休む間もないほどの勢いでした。
こうした大きな体制のもとで作品が世界へ広がっていくことには、強い実感があります。ヴェネチア国際映画祭では、アニメーションとしては唯一の出品作でしたが、その場に『果てしなきスカーレット』が存在できたこと自体、アニメーション映画が国際的に無視できない存在になっている証だと感じました。その背景には、ソニー・ピクチャーズのグローバルな配給・宣伝の力があると思います。
アニメーションを日本だけの文化ではなく、世界の多様な観客に向けた表現として育てていく上で、今回の協力体制は非常に意義深いものでした。業界にとっても一つの転換点になるのではないかと思っています。
技術というのは、表現のための道具にすぎないと思っています。2Dであっても3Dであっても、どちらが正しいということではなく、何を描きたいか、そのためにどんな手段が最もふさわしいか、これが全てです。だから、絵筆を持つか、デジタルツールを使うかというのは、単に使い方の問題であって、そこにイデオロギーはないと思います。長い間、「2Dか3Dか」という議論がされてきましたが、本当はそんな対立に意味はない。表現の本質は、どの技術を使うかではなく、その技術を通して何を伝えるかにあると思います。
私自身も、『サマーウォーズ』の頃から少しずつCGを取り入れてきました。『竜とそばかすの姫』では、インターネット世界の表現に半分以上CGを使い、『果てしなきスカーレット』では、現実の世界を舞台に、手描きの感情表現とCGの空間表現を融合させることに挑戦しました。技術の進化をどう活かすかは、作品のテーマによって変わります。重要なのは、新しい技術を「目的化しない」ことです。
絵画の歴史には、時代ごとに技術が変化し、そのたびに新しい表現が生まれてきたという流れがあります。ルネッサンスも印象派も、技術の革新から始まった。でも最終的には、技術そのものではなく、「世界をどう見るか」という作家の視点が時代を変えてきました。アニメーションも同じです。テクノロジーが進んでも、絵を描くという行為の本質は変わらない。だからこそ、私は技術を使いながらも、絵画的な感性を忘れたくないと思っています。テクノロジーは、表現を豊かにする可能性を持っています。ただ、それに溺れてしまうと、表現はすぐに空虚になる。
新しいツールに出会うたびに、「これで何を描くのか」「どんな感情を伝えたいのか」を問い直す。その繰り返しの中で、アニメーションという表現はまだまだ進化できるのです。
アニメーションの世界には、まだまだたくさんの「空き地」が残っていると思います。すでに飽和しているように見えるかもしれませんが、実際には誰も試していない表現や、まだ描かれていない世界が無数にある。それを見つけにいくことこそが、この仕事のいちばん面白い部分です。一人の作り手が生涯で手がけられる作品には限りがあります。だからこそ、これから新しくこの業界に入ってくる人たちには、自分にしかできない新しい表現を見つけてほしいと思っています。
アニメーションというのは、ジャンルで囲われた閉じた世界ではなく、もっと開かれた表現であり、まだ誰も見たことのないアニメーションが、これからいくつでも生まれてくるはずです。この世界は、誰かの真似をしているだけでは生き残れません。昔の名作を再生産するのではなく、自分の中の感覚や疑問から始まるものを、きちんと形にしていくことが大切だと思います。まだ作られていない面白いアニメーションを、自分が作る、そういう気持ちで飛び込んできてほしいと思います。
技術はどんどん進化していきます。でも、大切なのはツールではなく、何を描きたいかという想いです。表現の可能性は広がっています。だからこそ、恐れずに、自分の目で見た世界を信じてほしい。アニメーションの未来は、まだ何も決まっていません。それを形にしていくのは、これから入ってくる皆さんなのだと信じています。
創作というのは、結局のところ「やらざるを得ない」衝動なのではないかと思います。新しいことを思いついたら、試さずにはいられない。実現しないままでは、どうにもやり切れない。
イノベーションって、威勢のいい言葉ですが、言うほど簡単ではありません。誰かがやっていないことをやるというのは、同時に「誰も助けてくれない領域」に足を踏み入れるということでもある。費用の確保も難しいし、リスクも大きい。ただ、それでもやらないと世界が止まってしまう感覚が自分にはあります。
アニメーションは絵画史の延長線上にあり、まだまだ「絵」としてできることがある。ルネッサンスや印象派の画家たちが、自分たちの時代を塗り替えるように、アニメーションもまた、表現の地平を更新していけるはずだと信じています。だからこそ僕は、誰かがすでに望んでいるものを再生産する作業ではなく、まだ誰も望んでいることにすら気づいていない「何か」を形にしたいと思っています。その方がずっと創作として正しい気がするのです。
新しいことをやろうとすれば、そこには必ず痛みが伴います。血を流しながら進むような感覚です。でも、そこでしか見えない景色がある。その苦しさの中にこそ、ほんとうの歓びがある。だから僕は、今日もまた「作らずにはいられない」。それが、僕の中で絶えず響いている声です。
東映動画(現・東映アニメーション)でアニメーターを経て、1999年に映画監督としてデビュー。11年にはプロデューサーの齋藤優一郞と共に、アニメーション映画制作会社「スタジオ地図」を設立。『おおかみこどもの雨と雪』、『バケモノの子』でともに監督・脚本・原作を手がける。最新作『果てしなきスカーレット』では第82回ヴェネチア国際映画祭、第50回トロント国際映画祭に選出された。