1946年(昭和21年)1月、ソニーの創業者のひとり、井深 大(いぶか まさる:ファウンダー・最高相談役)が起草した。
「東京通信工業株式会社設立趣意書」
戦時中、私が在任していた日本測定器株式会社において、私と共に新兵器の試作、製作に文字通り寝食を忘れて努力した技術者数名を中心に、真面目な実践力に富んでいる約20名の人たちが、終戦により日本測定器が解散すると同時に集まって、東京通信研究所という名称で、通信機器の研究・製作を開始した。
これは、技術者たちが技術することに深い喜びを感じ、その社会的使命を自覚して思いきり働ける安定した職場をこしらえるのが第一の目的であった。戦時中、すべての悪条件のもとに、これらの人たちが孜々(しし)として使命達成に努め、大いなる意義と興味を有する技術的主題に対して、驚くべき情熱と能力を発揮することを実地に経験し、また何がこれらの真剣なる気持を鈍らすものであるかということをつまびらかに知ることができた。
それで、これらの人たちが真に人格的に結合し、堅き協同精神をもって、思う存分、技術・能力を発揮できるような状態に置くことができたら、たとえその人員はわずかで、その施設は乏しくとも、その運営はいかに楽しきものであり、その成果はいかに大であるかを考え、この理想を実現できる構想を種々心の中に描いてきた。
ところが、はからざる終戦は、この夢の実現を促進してくれた。誰誘うともなく志を同じくする者が自然に集まり、新しき日本の発足と軌を同じくしてわれわれは発足した。発足に対する心構えを、今さら喋々(ちょうちょう)する必要もなく、長い間皆の間に自然に培われていた共通の意志に基づいて全く自然に滑り出したのである。
最初は、日本測定器から譲渡してもらったわずかな試験器と、材料部品と、小遣い程度のわずかな資金をもって、できるだけ小さな形態で何とか切り抜けていく計画を立てた。
各人は、その規模がいかに小さくとも、その人的結合の緊密さと確固たる技術をもって行えば、いかなる荒波をも押し切れる自信と大きな希望を持って出発した。斯様(かよう)な小さな規模で出発した所以(ゆえん)は、この国家的大転換期における社会情勢の見透しができず、また、われわれの仕事が社会に理解され利用価値を見出されるまでには、相当の期間を要すると考えたからである。しかるに、実際に動き出してみると、われわれの持つような技術精神や経営方針が、いかに現下の日本にとって緊急欠くべからざる存在であったかを、各方面からの需要の声を通じて、はっきり自覚せしめられたのであった。
それはまず、逓信院、運輸省等の通信に関係ある官庁の活溌な動きに見出された。すなわち、全波受信機の一般への許可、民間放送局の自由化、テレヴィジョン(テレビジョン)試験放送、あるいは戦災通信網の急速なる復興、その綿密膨大なる諸計画の発表等、他の低迷困惑せる諸官庁の中にあって、一人水際立った指導性を示し、一般業者側が逆に牽引されたかの感を呈したのであった。
斯(かか)る動きは、特に過去において逓信院と関係の深かったわれわれに対し、直接の影響を及ぼし、早くも真空管電圧計等の多量註文を見る結果となった。
その他、短時日の間に、この方面より提案された新製品の研究、試作依頼の種目は相当量にのぼる状態である。また、間接的面から言えば、全波受信機の一般許可による影響は終戦後の「ラヂオ(ラジオ)プログラム」に対する新しい興味と共に、ラヂオセットそのものに対する一般の関心を急激に喚起し、戦災によるラヂオセット、電気蓄音機類の大量焼損も相まって、わが社のラヂオサービス部に対する需要を日を追って増加せしめたのである。その他、諸大学、研究所の学究、同じ志を有する良心的企業家等と、特に深い相互扶助的連係を持つわれわれは、この方面よりの優秀部品類に対する多種多彩な要求に当面しつつあるのである。
以上のごとき各方面よりの需要の増大は、われわれに新しい決意を促したのである。すなわち資本と設備を拡充することの必要と意義を痛感したのである。
われわれの心からなる試みが、かくも社会の広範な層に反響を呼び起し、発足より旬日(じゅんじつ)を経ずして新会社設立の気運に向ったことに対し、われわれは言い知れぬ感動を覚える。それは単にわが社の前に赫々(かっかく)たる発展飛躍を約束するばかりでなく、われわれの真摯なる理想が、再建日本の企業のあり方と、図らずも一致したことに対する大なる喜びからである。
全波受信機の普及、家庭電化、テレヴィジョン受信機の現出等を考えれば、今後この部門の活動は質・量共にその重要度を加えることは必至の事実である。従来、わが国においては「ラヂオサービス」と言い得るほどのもの皆無にして、ただ技術程度の低いラヂオ業者の片手間仕事に堕(だ)していた現状であるが、将来は高級受信機の出現と共に、斯かる徒輩(とはい)は当然影を消さざるを得ない運命にあり、逆にその需要面の広さと起業意義の大きさのため、一流セットメーカーとタイアップせるサービス専門の大会社の出現すら充分予想される所である。
当社もその自覚に基づいて、技術と測定器を思うように駆使し、徹底したサービス活動を行う計画である。その一例として、サービス専用の小型自動車設置案がある。すなわち電気蓄音機は言うまでもなく、高級受信機、テレヴィジョン受信機等は、重量・容積等が相当大になる事実に鑑み、一切の測定・修理・サービス用具を完備せる小型自動車を常備し、電話一本によって縦横自在に走り回り、迅速に己が任務を遂行せんとするものである。かくすれば仕事の能率はもとより、サービスに従事する技術者の数もサービス用具も少くて済み、一般の便宜に利する点大なるものがあると信ずる。
また、地方の需要に関しては、目下近接他府県より運搬の困難を犯して当所に持ち込まれる高級セットの数の少くなくない点を考慮し、将来は地方の特定ラヂオ商と契約期日を定めて、一括修理を行う予定である。
政府による全波受信機の一般許可は、大小の無線会社を刺激し、目下全波受信機の製造が盛んに行われつつある現状であるが、資材その他の関係上、なおこれらの製品が市場に出回るまでには、相当な日月を要するものと考えられ、この時間的空隙(くうげき)における一般需要に応えて、当社においては目下、従来の手持受信機に付加装置を付することによって、簡単に全波受信機に改造できる方法を工夫創案し鋭意製作中なるも、この付加装置は使用資材が少く、技術的に高級・性能優秀なるため、すでに一般およびラヂオ商方面より予約申込を続々見つつあり。当社においては大体明年6月までに500台(価格40万円)を製作する予定にて、以後は全波受信機の市場出回り状況いかんにより態度を決する予定である。
当社への修理依頼は戦災による被害数量の多きためと、高級セットを安心して託するに足る信用あるラヂオ商の少なきため、日を追って増加しつつあり、これに対し当社にては利益を第二義とし、例えば故障、修理理由を素人にも理解しやすきように解説したるメモを与えるがごとき、親切丁寧なる方法をもってサービス精神徹底化を期しつつあり、一旦手掛けたるセットは最後までその責任を持ち、いかなる煩雑なる要求に対しても快く応ずる精神的態度は、わがサービス部の本質となるものである。
その他、数は少なきも絶対他社の追随を許さざる最高水準を行く高級受信機の製造、当社独自の電気部品、家庭電化用品の製作も種々企図(きと)しつつあり。また海外技術の紹介、一切の無線資料、図書を具備せる図書館の設置、講習会開催による一般電気知識の啓蒙活動等も将来のサービス部の重要な課題となるであろう。
(株主とサービスの問題)
なお、将来株主に対するサービス(電気一般)は、特に重点的にこれを行う予定である。すなわち株主対会社の一般的関係に自由にサービスを要求できる会員制度的性格を持たせることは、意義あり興味ある試みと思考される。
新しい機械、テレヴィジョン家庭模写電信(無線により新聞を伝送印刷する装置)等の新製品や、家庭電化用品を優先的に提供し、従来の一般的な関係より、より特色ある緊密な形に結びつけるであろう。
家庭電化が日を追って盛んになる傾向にある今日、特にそれは有効適切な方法と思考される。
前述2部門は、大体会社の維持経営を分担する部門であるが、該当部門は当分の間、新しき特殊通信機の試作研究を分担し、今日よりも会社の明日に備え、将来の大飛躍をここに期待し得るのである。逓信院、運輸省、内務省等は、再建日本の重要課題たる通信網の能率上昇を積極的に企図しつつあり、当社もその要望に応え、全く新しき種々の試作を実践中にして、そのうちの主なるものを次に簡単に説明すれば——、
これは、現在の有線あるいは無線をして、簡単な装置で三重、四重等の多重通話を可能ならしむるものであって、東北帝大の通信研究所において、昭和18年より研究を開始、戦時中、特に発達した電波警戒の技術を多分に取り入れたる極めて特色ある方式によるものであり、逓信院、運輸省でもその成果を非常に注目しつつあり、鉄道省発注予定の試作セットが完成し成功すれば、現在計画中の青函十二重超短波無線電話装置(見積価格、約560万円)の註文は当社に来る予定なり。
これは、現在の電話線になお一通話増して、二重通話を可能ならしむる(現在の線路を使用して倍の通話を可能とす)非常に簡単な装置で、すでに日本測定器株式会社において、全く他の目的を持って多年研究されたるある種の兵器を若干改良すれば、この目的を充分果し得られるのである。目下盛んに試作中なるも、これもまた当社技術陣の独壇場、お家芸の一つであって、完成の上採用となれば、その需要度は恐るべきものであろう。
これも戦時中、航空通信に用い操縦士に電信符合習得の煩わしさから脱しせしむる目的を持って企図されたもので、完成を見ずして終戦となったものである。送信側において電鍵(でんけん)の代りに、50音のタイプライターを叩けば、受信側では通信文の50音が順次テープ上に印字されつつ出てきて、通信が終ればテープは停止する。装置は簡単であり、送信装置は大体携帯用タイプライターと同型、受信装置は手提げ金庫程度のもので有線無線双方に使用でき、将来電信局でこれを叩けば、加入者側ではテープの電報を受けることになり、また家庭で電話をかけて留守の場合等は、こちらから伝言を叩いておけば、何らの技術も要せず先方へ伝言を書いたテープを残すことができるのである。また、鉄道等の指令装置に用いても、命令の内容が明瞭に印刷されるため、極めて便利であり、応用利用範囲は極めて多く、電信機の当然到達すべき理想の一つの型であるが、これの完成は非常に意義深いものがあろう。本機の製作は相当精密な機械装置を必要とし、現在の状態では即時製品化することは困難であるが、とりあえず試作だけは完璧なるものにするため、設計進行しつつある。
これも日本測定器株式会社において研究完成したる兵器の応用品である。放送局において、そのプログラムごとに異なった周波数の音(例えばニュースならば「ド」、音楽ならば「レ」のごとく)を放送前にちょっと出す(ピアノを叩く程度にてよし)と、受信側ではその音の高さによって動作する周波数継電器が動作して受信機が働く。それゆえに聴取者は自分が聞きたいと思うプログラムだけのボタンを押しておけば、自動的にラヂオのスイッチが入って、そのプログラムのみ聞くことができる。それが終わればやはり特定音を出し、また自動的にスイッチを切ることになる。その他、この装置を用い自動的に時報に時計を合わせることも可能である。
音叉発振器、濾波(ろは)継電器、音叉時計等のごときは、当社独特のもので、戦争目的をもって研究・製作してきたもののうち、今後の通信技術方面に転換利用可能なるもの数多くあるをもって、各方面の要求に応じ、逐次製作していく予定なり。