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長期視点での経営とステークホルダー

    インタビュー全文

    はじめに~資本市場の機能

    皆さま、こんにちは。ソニーグループ株式会社の吉田憲一郎です。

    証券アナリスト協会に所属する皆さまは資本市場の重要な担い手です。
    資本市場の役割について、経済社会における資金の効率配分が上位概念にあると認識しています。企業側からみると成長資金の調達市場であり、配当や自社株買いを通じた分配市場でもあります。

    私が思うもう一つの役割は、M&Aを通じた産業再編の場で、これも広義の資金の効率配分だと思います。M&Aは相対での取引も多いですが、上場企業の買収は、公開買付け、TOBにより行われます。
    私は、今から9年前に上場企業トップとしてTOBにより買収された経験があります。今日はそこから話してみたいと思います。

    2012年:失意の夏

    2012年8月9日、ソニーのTOBによるソネットエンタテインメントの完全子会社化が発表されました。買収価格は567,500円で、発表前日の終値に対して71.5%のプレミアムが付与されていました。私を含むソネットの取締役会も賛同表明しています。
    一般的には「親子上場の解消」と理解されたと思います。しかし私個人の思いとしては「ソニーに負けた」、「ソニーからの自立を果たせなかった」という思いがあり、私はこの時を『失意の夏』として記憶しています。

    その時の私は上場企業であるソネットの社長として7年目を迎えていました。ここから時間を巻き戻して、ソネットを上場させその後ソニーに買収されて2012年の失意の夏を迎えるに至った過去を振り返ってみたいと思います。節目節目で資本市場と関わりがあったと思っています。

    ソネット社長就任まで

    秋葉原からNYへ

    バブル景気がピークを越えつつあった1990年6月、私は、ソニーの秋葉原営業所勤務からニューヨークに赴任しました。
    当時、ソニーの会長は創業者の盛田さん、社長は大賀さんでした。言うまでもなくお二人とも私からは遠い存在でした。そして、1988年のCBS Record、1989年のColumbia Pictures買収の余韻が残る時期でした。特に映画会社の経営には苦労していて、1994年に2,650億円の営業権の減損を実施しています。

    盛田昭夫(左)と大賀典雄(右)

    ニューヨークでの4年弱の赴任期間はIRが主な仕事でした。一度だけですが、成績優秀なソニー生命のライフプランナーを、ニューヨーク証券取引所(NYSE)と米連邦準備制度理事会(FRB)にツアーコンダクターとしてご案内したこともありました。
    NYSEとの窓口も仕事の一つでしたが、米国預託証書(ADR)をNYSEに上場している外国企業の駐米IR担当の交流会も何度かやりました。日本企業では、日立、パナソニック、海外ではフランスのTotal、イタリアFiatの方がいたのを覚えています。同時期に駐在していたパナソニックの方とは今でもお付き合いがあります。

    ちなみに、ソニーのNYSE上場は51年前の1970年です。同時期に上場した77企業のうち、現在も上場しているのはソニーを入れてわずか8社。また、現在、NYSE上場、約2,400社のうち上場50年を超えるのは約2%で、ソニーは44番目に上場の歴史が長い会社とのことです。ただ、歴史が長いことがよいことか、については議論もあると思います。

    帰任、社長室長

    1994年4月に帰任して本社のIRや財務をしばらく担当しました。IRでは先程触れた1994年の映画事業における2,650億円の減損のプロジェクトチームに入ったこと、そして、財務では98年3月の15億ドルのグローバル・ドル債発行の主担当をやらせてもらったことが大きなイベントでした。ちなみに、減損については、私がソニーCFOであった2017年にも同じ映画事業で1,100億円の営業権減損を行っています

    1998年は、私個人にとってキャリアの転機でした。1995年にソニー社長に就任した出井さんのスタッフ、社長室長をこの年の6月から務めることになりました。
    社長室長になって最初の大きなイベントはビルゲイツ氏も出席した1998年6月のWindows 98の発表会でした。日本の各パソコンメーカーのトップも出席する中、当時ソニーのVAIOの売れ行きが好調だったこともあり、出井さんが最初に紹介されていました。

    初めての本格的な海外出張は1998年8月のブラジルで、エレクトロニクスの販売会社があったサンパウロ、工場があったマナウスに行き、マナウスからアメリカに戻るフライト内で翌月のベルリン出張の打ち合わせをしたことを覚えています。
    Windows 98の発表会から長い年月を経てソニーはPC事業から2014年に撤退しています。また、ブラジルについては、2020年に工場の閉鎖を含めてコンシューマーエレクトロニクス事業の大幅縮小を決めました。一方、今年4月にはブラジル最大の独立系音楽レーベルであるSom Livreの約300億円での買収を発表しています。

    1998年から2000年までの社長室長時代には、事業の現場を見る機会が多くありました。また、出井さんに対しては彼が聞きたいことでなく、自分が言うべきと思ったことを言う自由がありました。ただ、創業者の時代が終わりつつあった大企業ソニーの社内ポリティックスを実感することもありました。
    このころ、ソニーは1997年度に営業利益5,300億円を計上しています。ソニーはこの利益水準をその後20年間更新できませんでした。1999年3月には当時の上場子会社3社(ソニー・ミュージックエンタテインメント(SMEJ)、ソニーケミカル、ソニー・プレシジョン・テクノロジー)の株式交換による完全子会社化を発表しました。

    プレイステーション事業の半分を所有していたSMEJについてはゲーム事業をソニーにより近づけるという大きな意味がありました。そして1999年10月、創業者の盛田さんが亡くなりました。

    連結営業利益の推移 1997年度 5,257億円 2017年度 7,349億円

    ITバブルのピークといわれた2000年2月にはソニーの時価総額は14兆円台をつけました。ただ、その後、AppleのiPodそしてiPhoneなどに代表されるネットワーク時代のテクノロジーやサービスによりソニーの事業は徐々に浸食されていくことになります。

    ソニー時価総額

    後に私は「ソニーはテレビ、ラジオの放送メディアで飛躍し、パッケージメディアで覇権を握り、ネットワークで苦しくなった。ネットワークで商品と競合が変わりサービス化が進んだからである」とソニーの社内スピーチで総括したことがありますが、それは14年後のことです。

    当時の私は、こうした大局的な流れとは無縁に「本社からは離れたい、事業をやってみたい」と思うようになっていました。また出井さんからは「社長室長は2年が一つの区切り、後任を探してくれば行きたいところに行かせてやる」という言質をもらっていました。
    この当時、かつての財務部の同僚であり、現在ソニーグループのCFOを務める十時がソニー銀行の設立準備に専念する姿にも刺激を受けたのだと思います。

    ソネットへ

    いろいろ考えた末に1996年からインターネット接続サービス、いわゆるISPを始めていたソネット、当時のソニーコミュニケーションネットワークに行くことにしました。決め手は歴史の浅さと売上350億円という規模の小ささでした。2000年当時、エレクトロニクス事業は、長い歴史と伝統を持ち、ソニーの連結売上7兆円の大部分を占める規模でした。40歳になっていた自分がそこで事業を担える可能性は低く、逆にソネットならその可能性があるのでは、と目論んだ次第です。

    So-net

    そして2000年7月にソネットに出向しました。最初はスポーツコンテンツ担当のGeneral Managerで、主にJリーグの浦和レッズ、鹿島アントラーズなどの携帯サイトの受託運営をやっていました。サッカーはそれまでテレビ観戦だけだったので、特に浦和レッズのスタジアム観戦ではその熱気に圧倒されました。またスポンサーもやっていたのでパーティに呼ばれたこともありました。そこで、スポーツというファンとスポンサーに支えられたエンタテインメントに初めて少し関わる機会を得ました。

    スポーツコンテンツと併せて経営企画的なことにも携わっていて、医療情報サイトのソネットエムスリー、今のエムスリーの会社設立に登記の段階から関わらせてもらいました。その縁で今も社外取締役をやっていて今年で21年目になります。エムスリーは2000年10月からの営業開始で初年度6か月は売上1億円、営業赤字1億円でしたが翌2001年には売上5億円、営業利益5,000万円と早くも黒字化しました。そして創業から4年目に東証マザーズに上場しています。その後の成長は皆様ご存じの通りです。今でもその経営から学ぶことの多い会社です。

    自分でいうのもなんですが、ソネットでは2003年に執行役員、2005年4月には社長と、とんとん拍子に出世しました。45歳でした。

    ソネット社長就任と上場

    自立のための上場

    社長就任が内定した2005年初頭から全力で動いたのは、ソネット上場による「ソニーからの自立」でした。上場で欲しかったのは、経営の意思決定の自由度とスピードでした。ソニーの子会社で5年働いてみて、エレクトロニクス中心のソニーと事業モデルが違うことと、ソニーの意思決定のプロセスでは時間がかかり過ぎると思ったからです。先ほど資本市場は企業からみれば、調達と分配市場といいましたが、個人的には自立の手段でした。

    この時痛感したのはまさにタイミングの重要性でした。当時ソニーは経営体制が出井さんからストリンガーさんへの移行期で、ソニー本社内では、ソネット上場は6月の株主総会後に新経営体制が発足してから決めればよいという後回しの雰囲気でした。確かにソニー全体からみればソネット上場の是非は重要度が低かったと思います。

    この時私が頼み込んだのが当時のCFOの井原さんでした。出井さんやストリンガーさんに特段の異存はないという感触は得ていましたし、井原さんは明らかにソネットが上場することに賛成でした。「腹決めしているなら、遅らせることに価値は無いので今、決めてほしい」というのが私から井原さんへのメッセージでした。偉そうなことを言ってしまいましたが、実際、彼は社内会議と取締役会でソネット上場をサポートする意見を述べてくれました。4月のソニーの取締役会では、ある社外取締役が「ソネットはまだ収益基盤も弱いのでソニーの傘の下にいた方がいいのではないか」という善意のコメントもありましたが、反対はありませんでした。この取締役会でソネットの上場の方向性が決議され、対外発表もされました。

    私自身は、4月のソネットの社長就任と同時に正式に転籍して、ソニーから退職金も受け取りました。私が社長になり、その月に上場の方向性も決まったところで、一つうれしい驚きがありました。当時ソニー銀行の立ち上げが一段落していた十時が「吉田さんが社長をやるならそちらを手伝ってもいいですよ」とある時に言ってくれたことです。もちろん私からの返事は「ぜひお願いします」というものでした。この当事者同士で進めた子会社間の人事には当然親会社のソニー側から物言いがつきましたが、ソニーの経営層にも働きかけてなんとか実現することができました。彼は2005年6月に執行役員専務としてソネットに着任しています。
    そして2005年12月20日にソニーコミュニケーションネットワークは東証マザーズに上場しました。

    ソニーの売り出しが263億円、ソネットの調達64億円、合計327億円というマザーズでは大型のファイナンスでした。先ほどタイミングの重要性と言いましたが、上場翌月の2006年1月17日にライブドアショックが起こりマザーズをはじめとする新興市場は完全に崩れました。このタイミングを逃していたらソネットの上場はなかったと思います。

    社名変更~ソネットエンタテインメント

    上場方針決定後、ソニー本社からは上場する以上、社名からソニーブランドを外せという議論がありましたが、ソニーの子会社である間は使ってよいという結論になりました。しかし私はソニーからの独立のために持分を減らして欲しかったので、上場翌年2006年10月に社名をソニーコミュニケーションネットワークからソネットエンタテインメントに変更しました。

    エンタテインメントを付けた理由は、「21世紀はエンタテインメントの時代でインターネットがその主な担い手になる。そこで存在感のある会社になりたい」という時代認識とビジョンからでした。この認識自体はそれほど間違っていなかったと思いますが、後で述べるようにこのビジョンに基づく施策はほとんど失敗しています。
    ところで2021年4月にソニー株式会社はソニーグループ株式会社に社名変更しました。全く自慢になりませんが、私は上場企業の経営者として二度社名変更をしたことになります。

    通信、放送、ウェブサービス

    上場したソネットはTOB前の2011年度で売上1,000億円弱の会社でしたが、事業間口は広く通信、放送、ウェブサービスの三つがありました。それぞれの領域でどういうことをやったかを少し紹介したいと思います。
    ソネットの祖業であるインターネット接続、ISPが通信です。私が異動した2000年から、ダイヤルアップ、ADSL、光、そしてモバイルMVNOと進化しました。社長就任の2005年以降も会員獲得投資は一度も緩めなかったので華やかさはないもののリカーリング事業として堅実な実績を出していました。コールセンターは沖縄、小倉、札幌にあって定期的に訪問しており、朝礼でのコールセンターメンバーへのメッセージの決まり文句は「一人でも多くのお客様に、一日でも長くソネットのサービスを使っていただこう」というものでした。

    「一人でも多くのお客様に、一日でも長くソネットのサービスを使っていただこう」ソネット(現ソニーネットワークコミュニケーションズ)で社長を務めていた頃

    NTTやKDDIなどの大手通信キャリアとは、バックボーンの調達、相互接続、相互代理店、そして一部競合など多面的な関係でした。企業規模はこちらが圧倒的に小さいので通信業界の動向は常にフォローしておくように努めました。
    ISP事業は、実は台湾でもやっていて定期的に訪問していました。これがソネット唯一の海外事業でした。行き詰まりかけたところを十時の発案で台湾最大の通信キャリアである中華電信との合弁とし、私がソネットを離れた後はPCオンラインゲームの運営に軸足を移したようです。

    放送は、スカパーのチャンネルを2000年にソニーから引き継いたものです。2006年にアジアドラマチックTVとして主に韓国ドラマを中心に改編して黒字化しました。韓国にはたびたび行きましたが、ドラマを買い付ける立場なので「ソウルドラマアワード」のような国際イベントに招待されるなど基本的に歓待されました。その後台湾のケーブルTVチャンネルに出資しようとした際には、ソニーピクチャーズのチャンネル事業とコンフリクトがあるということでソニーから干渉が入り、結局断念しました。

    三つ目のウェブサービスの中で、注力したのはオンラインゲームとオンライン広告、そしてTVポータルでした。
    オンラインゲームについては、2008年に約77億円のTOBで買収したゲームポットのPCオンラインゲームが主体でした。同社は、主力の「スカッとゴルフ パンヤ」で日本ではいち早くFree-to-playとアイテム課金を導入した会社でした。その後取得したIPの「Wizardry」などへの開発投資も行いましたが成果には結びつきませんでした。

    ブラウザベースのモバイルゲームも手がけ、さらに2009年にソネットのキャラクターであるPost Petゲームを任天堂DS向けに開発、発売したこともありました。この発売前にはさすがに当時プレイステーションのトップであった平井さんに電話で連絡したことを覚えています。ソネットにはPost Petの他にLivly Islandなどいくつかのキャラクターがありました。これらのアニメ化の可能性も見据えて、GONZOブランドで知られるアニメ企業のGDHに出資しましたが、アニメ化の実現は出来ませんでした。

    参考:PostPetDS 夢見るモモと不思議のペン
    (任天堂ウェブサイト)

    Livly Island

    参考:リヴリーアイランド公式ウェブサイト

    オンライン広告事業では、メディアイノベーションという会社を約7億円で買収しました。これも2008年です。このころシリコンバレーに出張していわゆるアドテック企業の話を聞いて勉強しましたが、この業界が極めて細分化されていて技術の変遷が激しいことだけは理解しました。メディアイノベーション自体もバリュークリック、ライブドアマーケティングなど変遷をしてきた会社ですが、現在はソネットメディアネットワークとして東証1部に上場しています。

    2008年のこの二社の買収発表当日はそれぞれ、ゲームポットは品川、メディアイノベーションは渋谷のオフィスに行って、集まった社員に向けて少し緊張しながらスピーチをしました。両方ともキーワードは「自立と連携」でした。これは今でもソニーグループの社内スピーチでは時々使っています。

    さてウェブサービスの最後のTVポータルは2007年に設立された「アクトビラ」という日本の家電5社が相乗りしたTV向けのネットサービスです。この座組の実現にはマイクロソフトのWindows CEが家電市場を侵食することを警戒した経産省の後押しもあったようです。

    なおソネットは通信事業者で総務省管轄だったので経産省との直接の接点はありませんでした。実際はシステム再構築となりましたが、当初はパナソニックのVIERA向けTナビ、ソネットで運用していたBRAVIA向けTVホームを統合する形であったこと、また、株式持分や人的リソース提供の観点からも、アクトビラの実態はパナソニックとソネットとの二社合弁に近いものでした。私も設立当初から取締役を務め、それなりに時間を使ったので最終的に事業として立ち上げられなかった責任は感じています。ただアクトビラのおかげでソニーも含め日本の家電各社の経営層と接点が持てたことは勉強になりました。社長就任前でしたが、パナソニックの津賀さんとはアクトビラの取締役会で毎月お会いしていました。

    ウェブサービスは他にも多く手がけました。しかし、後には、たとえば音楽配信のMoraとチケット販売のイープラスはSMEJに移管させてもらいました。前述の放送チャンネルも同様です。
    エアラインチケット販売サイト、中古車のネット販売はうまくいかず売却、清算となりました。角川、電通イーリンク、ソネットの三社合弁の「ソネット・カドカワ・リンク」という広告モデルの地域情報動画サイトも2年ほどで終了しました。変な自慢話ですが、この合弁事業の畳み方がきれいだと角川さんから褒められたことがあります。
    投資にはいくつか成功例もあります。私がソネットに異動する前年に出資していたDeNAはオークションからモバイルオークション、そしてモバイルゲームへ大きく成長しました。2006年に出資したエニグモは2012年にマザーズに上場しました。

    2012年の攻防

    2012年は「失意の夏」と言いながらも、こうして振り返り、株価の推移をみると果たして上場企業の社長としての実績はどうだったのかを反省すべきだったと思います。ただ、当時はソニーから既に独立した気でいたので完全子会社化を提案してきたソニーには「徹底抗戦」するというのが基本スタンスでした。

    まず当初の株式交換の提案は拒否して現金に切り替えてもらい、またソネット側で第三者委員会をソネットの社外取締役と外部有識者で組成して価格交渉をしました。いくつかのファンドにMBOの可能性も打診しましたがソニーが株式の過半を保有していることもあり無理筋でした。

    ソネット株価推移(2005年12月~2012年12月

    2012年4月にソニーのCEOに就任した平井さんとは食事をしながら二度直談判しました。なぜか二回とも中華料理で、基本的に私がほぼ一貫してソネットの完全子会社化に反対の意見を述べるというものでした。
    「現在苦境に陥っているソニーがコア事業とは遠く、しかも過半を既に保有しているソネットの完全子会社化は経営上のプライオリティが低いはず。こちらは逃げも隠れもしないのでエレキの立て直しなど他のことに資金と時間を使った方が良い」というような話をクドクドとしたと思います。
    平井さんは文句ばかりいう子会社社長の話を丁寧に聞いてくれましたが、ソネット完全子会社化の方針は変わりませんでした。またソニーの取締役会で一度話させて欲しいと当時議長だったストリンガーさんにも頼みましたがこれも断られました。

    2005年には、さほど重要とは思えないソネットの上場をねじ込んで取締役会で認めさせ、今回はプライオリティが低いので遅らせろ、というのは今思うと身勝手ですが、当時はその自覚は全くありませんでした。
    ソネットの第三者委員会は5回開催されました。対価は株式交換から現金に変わり、買収価格も切り上がっていきました。最終提示は567,500円で、プレミアムは70%を超えました。私は「徹底抗戦」のマインドセットのままでしたが、その時副社長の十時から諭されました。「吉田さん、我々が上場来一度も付けたことがない株価での提案が来ている。これに抵抗しつづけるというのは、ソネットの株主に対しても説明がつかない」というものでした。これで私も観念しました。そしてソネットの取締役会は正式にソニーの買収提案に賛同表明を出しました。

    TOB後

    2012年9月20日、TOBは終了し、同年12月に上場廃止となりました。マザーズ上場からちょうど7年でした。

    翌2013年1月1日に正式にソニーの完全子会社となりました。次の仕事を考えるべきかとも思いましたが、ソネットでの日々の仕事もありましたし、ソニーからも特段の指示もなかったので仕事は続けていました。その後二つ少し意外なことがありました。

    一つは私のレポート先が、経営企画管理を所管するCFOではなく、CEOの平井さんになったことです。しかも形式的なレポート先ではなく、定期ミーティングを要請されました。そして話す内容はソネットでなく、ソニーについてでした。
    二つめは、ソニーが11%を出資していたオリンパスの社外取締役就任を依頼されたことです。それまでは、社長という執行側としての取締役であったソネット、1994年の上場前後のDeNAや前述のエムスリー、アクトビラなどベンチャー企業の取締役ばかりでしたので、オリンパスのような規模と歴史のある会社の社外取締役は大変勉強になりました。

    13年半ぶりのソニー

    2013年の秋に平井社長から、「ソニーに戻って変革を手伝ってほしい」と言われました。提示されたタイトルはEVP CSO & Deputy CFOというものでした。平井さんと話す中でソニーの状況も理解できてきたこと、いただいたタイトルでやりがいがありそうだったこと、そして「失意の夏」から1年以上が経ち冷静に考えるといろいろな機会を与えてもらったソニーに恩返しをしたいと思ったことなどで2013年12月に13年半ぶりにソニーに復帰しました。

    平井さんからは「十時さんも一緒に」と依頼され、彼は経営企画担当の執行役員として同じタイミングで復帰しました。実はソネットのオペレーションやディールのかなりの部分を十時が担っていたのでソネットの経営が心配でしたが、親会社であるソニー側からサポート可能と割り切りました。実際はその後ソネットに関与する余裕はなく、後の経営陣がきちんと引き継いでくれています。
    年が明けて、平井さんから「CFO&CSO」就任依頼を受けました。私は、CSOのタイトルは不要と思いCFOだけにしてもらいました。そして2014年4月にCFOに就任し、4年間勤めました。

    資本市場との関わり

    ソニー復帰まで

    さてここまで「失意の夏」の2012年で始めて、1990年に一旦遡って2014年までを時系列に述べてきました。この四半世紀を縦糸とすると横糸に資本市場があったと思います。
    主なものはスライドのとおりです。

    NYでのIR業務(1990年~) 映画事業の営業権減損、98年のグローバル・ドル債(1994年、1998年) 上場3子会社の完全子会社化(1999年) 取締役を務めていたエムスリーとDeNAの上場(2004年、2005年) ソネットのマザーズ上場、東証一部へ(2005年、2008年) ゲームポットTOB(2008年) ソニーによるソネットTOB(2012年) オリンパス社外取締役(2013年)

    ソニーCFOとして

    最近、平井さんが著書「ソニー再生」を出版しています。米国のベストバイへの50 millionドルの販路投資に私が反対し、平井さんが押し切って投資させたことなど私も懐かしく思い出しながら読みました。結果としてこの投資は成功で、それがテレビ事業のターンアラウンドの一つのきっかけとなりました。しかし平井さんも著書で書いているとおり、大事なのは経営チームに「異なる意見」があることだと思います。

    事業撤退も含む一連の経営施策は「ソニー再生」を是非読んでいただきたいと思いますが、CFOとしての資本市場との関わりということで無配と増資についてお話しておきたいと思います。

    無配と増資

    無配

    2014年5月14日のCFOとしての最初の決算発表では、冒頭で「株主様をはじめとした関係者の皆様のご期待にお応えできていないことを大変申し訳なく思います。」と述べました。それから4カ月後の9月17日に、今度は平井CEOと席を並べてお詫びの記者会見をすることになります。

    会見内容は三つで、モバイル事業での1,800億円の減損、2014年度の業績見通しを2,300億円の赤字に大幅下方修正、そして上場以来初の無配というものでした。「株主の皆様には大変申し訳なく、重く受け止めている」というお詫びを今度は平井CEOが述べました。

    発表翌日の株価は8.6%下がりました。当然ながらメディアの記事も大変厳しい内容で、それは翌月10月31日の第2四半期決算発表後も同様でした。ただ、当社をカバーしているアナリストの方々のレポートは、メディアとは対照的に決算発表後にはポジティブなものが増えていました。

    決算発表前日の10月30日には、モバイル事業のトップに翌11月から十時が就任することが発表されました。このころから私は、業績はある程度立て直せそうだという感触を持つようになりました。無配発表以降、構造改革が加速したことと半導体のCMOSセンサーが業績に寄与し始めたことからです。実際その後の株価も上昇基調でした。

    増資

    続いて2015年7月に実施した26年ぶりの公募増資についてお話ししたいと思います。私個人としての増資を考える大きなきっかけとなったのは当社株を保有してくれていた欧州のある投資家との対話でした。その投資家の論点は二つでした。

    一つは、「ソニーのバランスシートに営業権や無形固定資産が多くあるが自分はその資産性を疑っている。その意味ではソニーの財務体質は見かけ以上に脆弱だ」というもの。もう一つは、「日本企業は株価の安い時に増資をし、高い時に自社株買いをする傾向がある。これは逆であるべきだ。」というものでした。その時はそれ以上の議論はしませんでしたが、私はエクイティファイナンスを薦められているように感じました。

    その後2015年に入って検討を重ね、2015年7月に株式3,000億円、転換社債1,200億円の資金調達を実施しました。成長資金の使途は具体的にはCMOSイメージセンサーへの設備投資となります。
    当然ながら投資家、特に既存株主からの反発は大きいものがありました。
    平井さんや私を含めて、3つのチームでのロードショーで「成長投資のための財務基盤の強化」を投資家に訴えました。9日間で、世界の10都市を回り、合計で132回の投資家ミーティングを行いました。

    平井さんも私も多くの厳しいコメントと質問を受けましたが、結果として3,000億円の募集に対し約5倍の注文があったとのことです。前年度に減損を行い無配として、翌年に増資をお願いするなど株主には大きな負担をお願いしましたが、2015年度にリスクマネーを調達できたことはその後の経営には大きな助けとなりました。

    なおエクイティストーリーのコアであったCMOSイメージセンサーは、顧客需要の変動、熊本地震、地政学リスクの顕在化などその後も多くの出来事がありましたが、資金調達による設備投資からは十分なリターンが出せたと思っています。
    なおこれらと並行して開示セグメントの見直し、開示項目の拡充、IR Dayの実施なども行いました。資本市場の要望に応えるためという側面もありますが、私自身は投資の選択肢を多く持つ投資家に「説明できるか」ということが経営施策の妥当性の確認プロセスになるという事業面での意味合いが大きかったというのが本音のところです。

    長期視点での経営とステークホルダー

    長期視点とステークホルダー

    今日は、自分の経験談を縦糸に、資本市場を横糸の形でお話をさせていただきました。

    1990年:秋葉原からNYへ 1994年:帰任、本社のIRや財務を担当 1998年:社長室長 2000年:ソネット出向 2005年:ソネット社長就任、東証マザーズ上場 2008年:ゲームポットTOB 2012年:ソニーによるソネットTOB 2013年:ソニー復帰 2014年:ソニーCFO就任

    ここで時系列での物語は終わりとします。ここからはスピーチのテーマである「長期視点での経営とステークホルダー」に関連したトピックスを三つ、お話して締めくくりたいと思います。

    盛田さん

    前任の平井さんも私も、創業者の薫陶を直接には受けていない世代ですが、私は一度だけ盛田さんから身近で直接話を聞く機会がありました。1993年9月、赴任先のニューヨークでのことで、盛田さんが脳溢血で倒れる二カ月前です。
    その内容は「ソニーはこれまで多くのことを米国から学んできた。米国を追い越したと思っている日本企業もあるかもしれない。しかしソニーは今もう一度謙虚に米国から学ぶべきだ」というものでした。

    この1993年の盛田さんの危機感は、今振り返るとインターネットだったように感じます。ブラウザのNetscapeが登場し、Amazonが創業されたのは、その翌年、1994年でした。その後、ソニーは1997年に過去最高益を記録し、21世紀に入ってからは、インターネットがソニーの経営に深刻な影響を及ぼし始めたのは先程お話ししたとおりです。

    これは、経営における危機感、謙虚さ、そして、長期視点の大切さを語る際に私が使うエピソードです。
    現実には経営者は、四半期決算、毎年の株主総会に向き合います、また当社も日本では役員の定年内規もあります。自分の在任期間を最適化するのではなく、長期の仕込みをするための規範として経営チーム内でよく使うのが「よりよいソニーをつなぐ」という合言葉です。

    地球の中のソニー

    続いて「地球の中のソニー」についてです。

    SONY 地球の中のソニー

    これは2018年4月にCEOに就任した際に最初に全世界11万人の社員に向けて発信したブログのタイトルです。CEOとして社員というステークホルダーに最初に向き合うものなので悩みましたが、「ソニーは地球の上で活動している」という環境についてのシンプルなメッセージにしました。

    その時紹介したのが、中国の写真家の方からいただき、自宅に飾ってあるモンゴル草原の写真と「神なるオオカミ」という本です。環境課題については、若い社員、そして、小さいお子さんがいる社員の感度が特に高いと感じます。最近私は「地球もステークホルダーである」と述べています。

    2021年9月、当社としては四回目のESG説明会を行いました。私の冒頭の短いスピーチではESGのE(環境)にフォーカスし、「地球の中のソニー」そして「宇宙の中の地球」について話をさせていただいています。

    Purpose

    三点目はPurposeです。
    2018年6月の株主総会後のブログで「ソニーのMission, Vision, Valuesを見つめ直す」というタイトルで社員への問題提起をしました。ブログでは、感動の主体である「人に近づく」という方向性と併せて創業者の設立趣意書をあらためて社員に紹介しました。

    人に近づく

    この時点では、感動という前任の平井さんから受け継いだ言葉を活かしながら、経営のミッション、ビジョンをもう少し覚えやすく整理したいというのが私の意図でした。この投げかけには全世界から約100件の意見や具体案が寄せられ、彼らがそうしたものを求めているということを実感しました。

    その過程で出てきたのが「whyから始めた方がいいのでは?」という私のスタッフからの提案です。社員が求めているのはwhy we exist、社会的存在意義であり、「ソニーという会社が社員の一人ひとりの人生において情熱を注ぐべき対象になれるか」はwhyから始まると言うのです。そしてPurposeに行き着きました。

    社員の意見、経営の意志を反映させ、経営チームでの共有と議論のプロセスを経て、翌年1月7日にSony's Purpose & Valuesを発表しました。

    SONY Purpose 存在意義 クリエイティビティとテクノロジーの力で、世界を感動で満たす。
    SONY Values 価値観 夢と好奇心 夢と好奇心から、未来を拓く。 多様性 多様な人、異なる視点がより良いものをつくる。 高潔さと誠実さ 倫理的で責任ある行動により、ソニーブランドへの信頼に応える。 持続可能性 規律ある事業活動で、ステークホルダーへの責任を果たす。

    なお、BlackRockのLarry Fink氏は、その年の投資先CEO宛レターを「Purpose and Profit: An Inextricable link」と題して1月17日に発行しています。
    また、Purposeは一義的にはグループ内の約束事なので、米国ラスベガスで開催されるCESなど社外では、Who we are を表すIdentityとして「テクノロジーに裏打ちされたクリエイティブエンタテインメントカンパニー」という言い方をしています。

    Identity アイデンティティ テクノロジーに裏打ちされたクリエイティブエンタテインメントカンパニー

    現在、当社は中長期的な成長に向けた投資を加速しています。その投資を成功させるには、社員一人一人の経験、知恵、情熱に加えて、チームやグループ間で連携する文化が重要になります。Purposeはその企業文化の礎となるものと考えています。

    結び

    ここまで、自分自身の体験談と資本市場との関わり、それを踏まえた「長期視点」と「ステークホルダー」についてお話ししてきました。
    最後に申し上げたいことは、ある時期に上場会社であったソネット、そしてソニーは、アナリストの皆様もその担い手であるグローバルな資本市場に育てられた会社だということです。そして経営者としての自分自身もそうだと思います。
    今日はそうした感謝の思いも込めつつスピーチをさせていただきました。

    ご清聴ありがとうございました。