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2025年6月5日

空間音響技術を追求し、「音の体験」をより豊かなものに

世界初のデジタルノイズキャンセリングヘッドホンの開発に携わり、現在は空間音響の可能性を追求し続けるDistinguished Engineerの浅田宏平。これまでのキャリアと、テクノロジーにかける想いを聞きました。

  • 浅田 宏平

    ソニー株式会社
    Distinguished Engineer

オーディオ製品は、信号処理・電気・トランスデューサの総合システム

──いつから音に興味を持つようになったのでしょうか。

音に興味を持ったきっかけは二つあります。一つは高校3年生の文化祭でのバンド活動です。ベースを担当したのですが、肝心の楽器本体ではなく、その音を変えるエフェクターにハマってしまいました。もう一つが大学2年で出会ったホロフォニクスという立体音響技術を用いたCDです。いわゆるバイノーラル録音だと思うのですが、そのサウンドに驚愕して、学会誌を調べていくうちに、デジタル信号処理を使うことで、ヘッドホンで自由自在に音源を空間配置できることを知り、この研究に携わろうと心に誓いました。

ところが在籍していた大学には音響工学に関する研究室がなかったため、計測工学や生体医工学を扱う研究室に「聴覚は生体医工学の一つですよね」と強引に入り込み、PCやDSP(デジタルシグナルプロセッサ)を使って、ほぼ独学で研究していました。大学院の研究テーマは、「ヘッドホン再生で、音が任意の前後・上下・左右位置から聞こえる信号処理手法の研究開発」。学生時代の興味が、その後、そして今に至るまで仕事につながっているというのは、恵まれた職業人生だと感じます。

──ソニーに入社したきっかけを教えてください。また入社後はどのような製品に携わりましたか。

ソニーを選んだのは、「エフェクター」と「仮想音像定位※1」という私の2つの興味を満たしてくれる会社だったから。ちなみにソニーの社名の由来はラテン語の「sonus(音)」で、まさに自分が行くべき会社だと思っていました。

1993年に入社し、以来研究開発部門と事業部門を何回か往復してきましたが、一貫してオーディオ技術の開発に携わってきました。ノイズキャンセリング(NC)や集音器、オープンイヤーヘッドセット(耳穴開放型イヤホン)、音響AR(拡張現実)といった、新しい機能を使って音を楽しむライフスタイルの創造を目的とした開発が中心でした。

最初に配属された研究所では、初代のデジタルNCヘッドホンの開発に挑戦しました。当時、まだ民生用のデジタルNC製品は世になく、その商品化を目指しましたが、さまざまな理由でプロジェクトは中止に。デジタル信号処理については結構自信を持っていただけに落ち込みましたが、当時の上司にこう言われたんです。「信号処理だけじゃ足りない。『音の全教科』を学びなさい」。その言葉は私にとって、とても大事な気づきにつながりました。

オーディオ製品の内部は、ソフトウェア(信号処理・アルゴリズム)、ハードウェア(電気回路・デバイス)、そしてトランスデューサー(音響メカ)の総合システムで、いかにそれらを融合させるかが重要です。この気づきが音に関してさまざまな観点からアプローチしていくきっかけになり、その後の自分のアイデンティティやこだわりにもつながっていくことになりました。

以来、さまざまな技術や製品開発に挑んできました。たとえばサンプリングリバーブのテーマでは、響きのデータを収録するために、欧州のホールや教会を巡るツアーに同行し、音響測定のノウハウを現場で学び、プロ用エフェクター「DRE-S777」の商品化開発に貢献しました。多くのクリエイターから「現地のそのままの音がする」と好評でした。

この音響測定技術を応用した自動音場補正機能の開発では、部屋の環境やスピーカー配置によらず、AVアンプやホームシアターなどの機器で、最適なバランスのサラウンド音場を再現できるかを検証すべく、音が反響しやすい銭湯や逆にこもりやすい四畳半といった極端な環境でフィールドテストを重ねました。この機能を搭載した最初の機器は2005年に発売されたAVアンプ「TA-DA9100ES」です。20年経った今も機能が追加されており、最近では一部の機能がPlayStation®5にも採用されています。

自動音場補正機能搭載 マルチチャンネルインテグレートアンプ 『DA-9100ES』

現在の立体音響技術につながる超臨場感の空間づくりにも挑戦しました。ホテルのホールを借り切ってPoC(概念実証)を実施。40チャンネル、216個のスピーカーを配置し、ロサンゼルスのジャズホールのライブを再現する取り組みでした。これは残念ながら事業化に至らなかったものの、好きなようにいろんなことに取り組ませてもらってきたと思います。

※1 音像定位:音源の位置や方向、距離を知覚すること

デジタルNCでオーディオの世界に新しいジャンルを確立

──そして2008年発売の世界初のデジタルNCヘッドホンの開発をリードすることに。

その後、2006年に改めてデジタルNC開発に挑戦する機会が訪れました。前回中止になって以来、10年以上ずっと悔しさは残っていましたし、その間に学んだ「全教科」の技術を試してみたいという気持ちもありました。

開発リーダーとして、ソニー社内のさまざまなジャンルの専門家の力を借りて、競合他社に対して、圧倒的な優位性を示すノウハウと知識を総動員して2年、世界初のデジタルNC、"MDR-NC500D"の発売にこぎ着けました。

徹底的に機能・性能にこだわり抜いたことが、その後のさまざまなソニー製品へのデジタルNCの横展開や、他社も含めたオーディオの世界に一つのジャンルを確立することにつながっていきます。さらにNCの関連技術を応用した集音器の開発、補聴器の発売の道を切り開いた製品になりました。そして、2023年、出身大学から「デジタル方式ノイズキャンセリングヘッドホンの開発と製品化による同技術のオーディオ産業への発展貢献」というタイトルの賞をいただきました。

MDR-NC500D

──NCの原理について教えてください。また、アナログ方式からデジタル方式に変わることでどのようなメリットがあるのでしょうか。

アナログもデジタルも、その仕組みはシンプルです。マイクとヘッドホンドライバの間にあるNCシステムで構成されていて、ヘッドホンの収音マイクでノイズ(騒音)を収音し、NCシステムで、鼓膜位置近辺でのノイズと逆位相の音を生成し、発生させることで騒音をカットします。

ノイズキャンセリングのイメージ

ソニーは1992年に旅客機の客室用のアナログNCヘッドホンを導入し、3年後に世界初のコンシューマ用のNCヘッドホンを発売しました。ただ、これらのアナログ方式のNCでは、ノイズのキャンセル性能や音楽の再生音質に課題がありました。

一方で、デジタル化を進める上での課題は、逆位相の音を生成する際の遅延です。そこで目標としたのは、NCの性能を担保できる20マイクロ秒以下にシステム遅延を抑えること。アナログとデジタルの境界部分やDSP内のアルゴリズムに至るまで、全体視点での超遅延にこだわった新システムを開発し、この課題を解決しました。そして、私たちは他社に先駆けて2008年にNCのデジタル化を成し遂げたのです。

デジタル化によって得られたメリットは多岐に及びます。高精度の演算が可能になったことでNC機能の高性能化はもちろん、LSI(大規模集積回路)導入による小型化と低消費電力化、再生する音楽の高音質化。さらにAIやデジタル制御との融合が可能になり、機能が飛躍的に進化しました。ユーザーにとっては、音楽体験の向上はもちろん、さまざまなプロダクトに採用されるようになったことで選択肢も増えたと思います。

ソニーの蓄積を生かし追究していく

──現在はどのようなことに取り組んでいますか。

現在、私はDistinguished Engineerとして社内の「音」に関する技術開発を組織横断で行うための戦略のリードとその成長サポートを行っています。いわゆるオーディオ技術にとどまらず、音の空間伝播や聴覚・認知の研究開発まで広く取り組んでいます。

ヘッドホンもマイクもスピーカーも、音が耳に届くまでには空間があります。この空間の中での物理的な音の伝わり方、人間側の聞こえ方、そして空間の捉え方の質までをどう高めていくか。オーディオ技術を中心として、過去のソニーの蓄積を活かし、追求していくことが私のミッションです。

そうしたなかで、空間音響の一分野である立体音響(イマーシブオーディオ)にもかかわっています。たとえば、ソニーが確立した360立体音響技術を使った音体験である、音の一つひとつに位置情報をつけ、クリエイターが意図する没入感のある立体的な音場を体感できる360 Reality Audioや、複数のスピーカーで構成されたスタジオの音場をヘッドホンで正確に再現する360 VME(360 Virtual Mixing Environment)。最近の取り組みでは、ソニー・ミュージックエンタテインメントとのプロジェクトでVTuberと連携し、プラネタリウムを舞台にVR(仮想現実)画像と立体音響を使って、仮想空間の音楽ライブを開催、新しい体験を参加者に提供しました。立体音響においては、音質はもちろん音像の位置、空間感をどう演出していくかが今後重要なポイントなってくると思います。

さらに今後は、自動車内などの騒音を軽減する空間NCや、音波をアクティブまたはパッシブにコントロールすることで聴く環境をより良いものにする波動伝搬制御など、空間を主軸にした「音体験」の差異化に貢献していきたいと考えています。

成果を生み出す「4×70」の発想法

──浅田さんが研究開発で大切にしている考え方を教えてください。

「Go to 現場」と「創発」というキーワードを職場で掲げています。さまざまな人たちとの連携、特にクリエイターに近づくことが重要です。若いメンバーには、技術に関連しそうなクリエイションの現場に失敗を恐れず飛び込んでほしいと思っています。実際に、開発担当者をグループ内の映像コンテンツの音声制作現場に長期派遣し、時にはクリエイターと一緒に苦労を体験する中で、彼らと信頼関係を構築し、何かを得られるよう後押ししています。

私自身が成果を生み出すために心がけているのは、「4×70」の発想です。1つの技術で100点を極めるよりも、関連する4つの技術で70点を取る方が280点を出せて得だろうと(笑)。しかも70点ならそれなりの努力で達することができる。そして課題が見えたら、ソニー内に数多くいる電気やメカ、エンタテインメントの専門家の力を借りて解決していき、その280点を400点に近づけていく。そういう意味で、私は自分を音響システムのアーキテクト(建築家)だと思っています。

──200件以上の特許出願があるそうですが、アイデアはどういう時に思い浮かびますか。

アイデアが必要だと思ったら、まずは、とにかく情報をインプットします。専門に関わらず多くの本を乱読しまくる。そうすると、寝ている時やお風呂に入っている時など、リラックス時に、脳内で勝手にデフラグ(知識の再整理)が起きて、突然閃きが生まれる、そんな感じです。若いメンバーにも「どんどん乱読して、どんどん寝ろ。どんどんお風呂に入れ。」と言っています。

ソニーの誰もがクリエイターの魂を持つ時代に

──今後、ソニーでどんな仕事をしていきたいか、意気込みを聞かせてください。

空間音響技術についていえば、今後は音の物理的な振る舞いに加えて、聴く側の認知科学的なアプローチを取り入れた方が良いのではないかと感じています。

たとえば映画を見ている時、さりげなく、気づかないぐらいの音量でBGMが流れてきて突然大きくなり、いつのまにか一気に感情が盛り上がることってありますよね。あるいは、ライブ会場のスクリーンで最初は解像度の低い映像が流れていたのに、突然、まばゆい照明とともに高画質の映像に変わり、アーティストが登場する。その瞬間に、観客は「これからライブがはじまるんだ」と無意識に認識する。物理的に全世界を模倣するだけでなく、こうした人間の感情や経験に訴えかける「情動」に対してアプローチすることで、より感動するロケーションベースエンタテインメントが生まれるのではないでしょうか。

ある種の演出効果なのですが、その意味でも、私たち技術者はエンタテインメントのプロであるゲームや音楽、映像のクリエイターともっともっと交流して、どういうコンセプトでその演出に至ったかを学んでいかなければならないと思います。

先ほどお話しした若いメンバーをエンタテインメントの制作現場に派遣しているのは、そんな経験をしてもらいたいという私なりの狙いの一つでもあります。

誰もがクリエイターの魂を理解できるようになることで、もっと素晴らしい製品やサービスが生まれると思いますし、そういう人たちと一緒に働きたいですね。

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