これまで私は、モビリティ、テクノロジー、発電、モダニティ、死、収監、紛争、そして言語そのものに至るまで、長年にわたって多くのテーマを取り扱ってきました。哲学的な観点からは、不在という概念や写真の存在論といったトピックにとても興味があります。
私にとって写真とは元々、コンセプチュアルな緊張の上に成り立つメディアという存在でした。困難だけれどやりがいを感じさせるような、解消不可能な矛盾と向き合うきっかけであり、同時に私たちの信念や想像を覆させるものでもあります。私は長年にわたり、さまざまなテーマに取り組んできましたが、収監にしても、今日の世界における戦争や紛争についての語り方にしても、全てに共通して言えることは、その特定のテーマの表現方法の見直しをしてきた、ということです。
昨年、ソニーワールドフォトグラフィーアワードで受賞した2023年のプロジェクトを例にお話しましょう。そのプロジェクトは、喪失の物語であり、そして何かを失った者がそれをどう受け止めるかというテーマに基づいています。2011年、フォトジャーナリストであり私のとても近しい友人が、北アフリカのリビアを訪れました。その頃、親カダフィ派と反カダフィ派の間で勃発したばかりの紛争の取材のためです。彼は3人の同僚と行動を共にしていたのですが、現地に到着して数日後、彼らは紛争の最前線となっていた海岸線近くの工業都市ブレガにおいて、カダフィ政権の支援を受ける民兵組織に拉致されました。人質に取られたものと思っていたのですが、2ヶ月後、他の友人らがようやく解放された時に、私の友人は拉致された当日に銃殺されていたことを知らされました。彼の亡骸は、今でも見つかっていません。
私は友人の足跡をたどるために北アフリカを訪れ、紛争に巻き込まれたり、影響を受けたりした大勢の人々に会おうと決めました。彼の辿った道をなぞるように旅することで、彼の軌跡と自分の足跡とを重ね合わせ、彼の旅を動機づけたものは何だったのかを理解しようとしました。そうして、ほんの短い間ですが、彼の見た景色を彼の視点から見つめることができました。しかしもちろん、これは惨たらしく殺された友人を悼むためだけのプロジェクトではありません。戦争を記録し、目撃し、想像することの難しさを追求するプロジェクトでもありました。
これは、私がこれまでに制作したプロジェクトの中で最もパーソナルなものです。それまでに手がけた他のプロジェクトは、興味はあるけれど完全には理解できていないものを取り扱うことがほとんどで、私的な思い入れといった要素のあるものではありませんでした。ですが、先ほども話した通り、この作品でいうところの紛争だろうと、あるいは収監だろうと死であろうと、すべてのプロジェクトに共通しているのは、それらの表現方法の見直しをしたいという願望が根底にあるということです。
ソニーワールドフォトグラフィーアワードは、これまで応募したりノミネートされたりしてきた賞の中で、圧倒的にリーチが広い賞です。自分が住んでいる国だけでなく、世界中の人に作品を見てもらえることが決定しているし、プレスへのリーチも最も幅広い。これはプロジェクトをローンチする場合に、とても重要なことです。この2つが、私がアワードに応募した主な理由です。
アワードの構造や仕組みを知ることは重要です。若いアーティストからよく「コンペティションに応募するとき、どうやってプロジェクトを選べばいいのですか?」と聞かれます。 私は彼らに、審査員が誰であり、そしてどんな経歴の持ち主なのかに注意を払うように伝えます。ただ、もっと重要なのは、いかにストーリーを伝えるか、いかに自分だけのストーリーを語るかということです。それにはある種のスキルが必要です。編集もプロジェクトの説明も非常にコンパクトにまとめ、また首尾一貫していなければなりません。それは経験とともに磨かれていくものですが、まだ経験が浅い内は、編集プロセスを洗練させるために、できるだけ多くの賞に応募することをお勧めします。
ソニーワールドフォトグラフィーアワードのプロセスは、私が関わってきた他の賞とは随分と異なります。アワード期間中だけでなく、アワード後もアーティストの力になりたい、作品のプロモーションをしていきたい、という純粋な想いがそこにはある。チームはいつもとても感じがよく、積極的に寄り添ってくれる感じがします。総じて、アワードからアーティストに贈られるチャンスの幅広さには本当に驚くばかりです。
昨年応募したとき、Creoが、前年の受賞者の個展を翌年の回で開催するという事を私は知りませんでした。これは素晴らしいアイデアだと思います。プロジェクトがどのように発展したのか、広く一般に向けて発表できるわけですからね。このように、様々な要素が組み合わさって、アワード全体として素晴らしい経験になると思いますし、どんなアーティストにとっても大きな後押しとなるはずです。
何カ月もかかることが多いです。キャリアの最初の15年間は、意図的に人を撮らないようにしていました。仕事がテクノロジー関連主体であったことも理由の一つではあるのですが、私が常に抱いていた懸念のせいでもありました。写真は時として、被写体を否定したり、無意識的に歪めてしまったり、搾取の対象としてしまうことがあります。たとえ写真家の思いが真摯なものでも、です。
2015年以前の私のプロジェクトを見ていただければ、写真の中に人物が一人も写っていないことがわかると思います。例え写っていたとしても、そうとは認識できないようになっています。例えば、少し前にとても有名な自動車メーカーと面白いプロジェクトをやりましたが、その際の課題に私はとても興味をそそられました。
その課題とは、「見慣れた方法以外で、工場を表現することはできるか?」というものでした。工場といえば、1日24時間、年中無休で稼働し、火花がそこら中で散り、すべてが休みなく動き、生産ラインがテンポよく動いているような、とても騒がしい場所を思い浮かべると思います。そこで私は彼らに挑戦状のような提案をしました。「工場を撮影するにあたり、生産ラインを全停止することは可能ですか?」と。きっと「正気か!?勝手にやってきて、生産を止めろだなんて!」 と一蹴されるものと覚悟していました。しかし、実際には、彼らはそのアイデアを面白がってくれて、了承してくれたのです。自動車工場は常に人が動き回っている、賑やかな場所です。その中で、私は1時間ほどの長時間露光撮影をしていたので、画角の中に人が入り込んでいたとしても、その人が素早く動いていれば写真の中で人と認識されることはないのです。
そういう意味では、私の撮る写真の多くはある意味でセルフポートレートとも言えました。というのも、撮影した写真の中の多くに、私自身が写り込んでいるからです。撮影している画角の中で、私も動き回っているのです。例えば、1時間や2時間、3時間といった長時間露光撮影では、自ら手に持った懐中電灯で撮影対象に部分的に照明を当てたりしていました。だから、私の作品の中には私自身が映り込んでいるのですが、実際に見えることはないのです。
しかし、ここ2、3年のプロジェクトでは、扱うテーマの方向性的に、アプローチを変えざるを得ませんでした。人々の人生の物語を被写体としてきたので、必然的に人を撮る機会が増えていきました。そしてその際、カメラを手にすることなく被写体との距離を縮める作業が、私にとって非常に重要なプロセスとなりました。プロジェクト全体のうち、このプロセスには、おおよそ1年という時間を費やすことが多かったです。写真を撮らずに、ただ人と関わり、繋がる。バーミンガム刑務所で制作したプロジェクトでは、定期的に刑務所を訪れ、撮影したいと感じた受刑者と面会をし、ファミリーデーには彼らの家族を紹介してもらいました。彼らと向き合い、その後、家族の方々とは塀の外でも会うようにしました。このように、プロジェクトの初動から、写真撮影においては一般的ではない手法を選び、取り組んできました。
収監をテーマにした刑務所のプロジェクトをプロデュースするのであれば、刑務所内で撮影をすることが、最も理に適っていますよね。しかし、それはこれまで幾度となく使われてきた手法で、私は同じことはしたくなかった。結果として、私はプロジェクトの全てを刑務所の塀の外で制作することにしました。毎日受刑者を訪ねる傍ら、彼らの家族の元を訪れ、しばしば家族の方々を刑務所の塀のすぐ外まで連れて行きました。これが、物語を伝えるための自分なりの新たな方法だったと私は思っています。
2023年、ソニーワールドフォトグラフィーアワードを受賞した北アフリカで制作した最新のプロジェクトでは、3〜4年間に及ぶ密着取材が可能で、かつ、その方々だけに絞って撮影ができる被写体グループを見つけることがとても重要であったため、その作業に集中しました。私は、基本的には被写体となる方とは、ほぼ友人と呼べるようになるくらい、深く関わり合いたいと考えています。というより、彼らとの間には実際、本物の友情が芽生えます。一緒に仕事をしている人たちと深い友情と絆を築くと、その友情はプロジェクト終了後も残る。そこまでして初めて、私は安心して彼らを撮影することができるし、彼らは撮られることに不安を覚えることがなくなるのです。私が使用している機材(大判フィルムカメラ)も、そのプロセスの一端を担ってくれています。
写真はとても自立したメディアですから、自分がやりたいことを実現するために誰かを頼る必要はありません。もちろん、ゲートキーパー的な役割は存在しますが、最終的に作品を作るのは自分自身です。また、写真のジャンルはエディトリアル、ファッション、コマーシャル、アーティスティック、ポートレート、コーポレートなど、多岐にわたります。写真の種類はさまざまなので、あなたがどの分野に進むかもさまざまです。クロスオーバーする部分もありますが、自分が最も興味のあることに集中することがとても重要だと思います。
私はまず、色々な実験を繰り返してみてほしい、と伝えます。機材だけでなく、写真という表現のクリエイティブさを知り、その限界に挑戦してほしいと思っています。そして、自分がワクワクするような表現方法が見つかるまで、辛抱強く待つこと。焦ってはいけません。
そこから先は、ただひたむきに、絶えず突き進むことです。時には否定されることもあるでしょうが、気に病む必要はありません。なぜなら、その意見は他人の主観に過ぎないからです。賞を受賞するということは喜ばしいことですし、最高に嬉しい気持ちにもなりますが、謙虚さを忘れてはいけません。その賞を獲得できたのも、その時のあなたの作品が、その瞬間、誰かの主観的な琴線に触れただけだということを肝に銘じなければいけない。同じ作品を1年後に応募しても受賞できないかもしれない。なぜなら、その時の審査員の心にもっと響く、別の作品があるかもしれないからです。そういったことを強く意識してください。しかし、もっと重要なのは、実験的であること、ひたむきさを忘れないこと、そして好奇心を持つことです。
ここで問われている"Voice"というのは、芸術的直感のことだと想定します。私たちが興味を持ったもの、心を動かされたもの、印象に残ったもの、腹が立ったものなどに、どういう反応を見せるか、ということです。私のこれまでのプロジェクトの多くを振り返ってみると、私の"Voice"は、被写体への特定のアプローチ方法や美学に基づいた何かではなく、好奇心によって突き動かされていたものだといえます。被写体すべてに対して抱いた好奇心と、それらを理解したいという本質的な欲求。多くの場合、それらの被写体は、私がまだ幼い頃から夢中になっていたものや、興味を惹かれていたものばかりでした。
私をフォトアーティストたらしめ、私が写真を生業としている理由もここにあるのかもしれませんが、私は写真を通して、自分がかつてより興味を寄せていた世界や現場へ、足を踏み入れることができるようになりました。多くの場合、一般の人は踏み込むことのできない世界です。例えばですが、私が宇宙飛行士や科学者、法医学者、犯罪学者だったら、おそらく私は自分の興味の幅を狭めなければならなかったでしょう。だけども私は、これら全てに興味がある。私は興味のあるものの幅が広すぎて、時折自分自身でもどうしようもないことがあります。
私の"Voice"は、私が夢中になれるもの、私が興味を惹かれるものに導かれています。だけど、時には、認知的不協和が発生していると感じるもの、つまり、ある物事の実態と、その一般的なイメージとの間に、ズレがあると感じるものにも興味をそそられます。
私は、自分が取り組んでいるテーマと一般の人々との間の橋渡しをすることが、自分の役割なのではないかと常々考えています。欧州宇宙機関やEDP(ポルトガル電力公社)、法医学・法科学研究所などと仕事をさせていただいた時、私の役割は、こういった組織の秘められた世界と一般の人々の意識とをつなぐパイプ役のようだと感じました。実際、企業や組織の方も私の仕事ぶりからそれを感じ取ってくれたからこそ、私に門戸を開いてくれたのだと思います。私の役割や"Voice"とは、ある種の橋渡し的存在であると同時に、何かを壊したいという衝動を持つ好奇心旺盛な人間であるということです。だから、私の"Voice"が何かと問われたら、美学や方法論云々というよりも、そのように定義されると思います。
以下の作品は全て"Anton's hand is made of Guilt. No muscle or Bone. He has a Gung-ho finger and a Grief-stricken Thumb, 2023."シリーズに含まれます。
Militia hideout / Abandoned militant outpost outside Brega / Rebel / Rebel hideout / Abandoned government compound / Abandoned private compound with minaret in the background / Downtime in abandoned regime compound / This tree survived the Battle of Bin Jawad / Local demonstrating dodging enemy fire / Ransacked compound