そこがどこでも映画館に!? 「WH-1000XM6」開発エンジニアが6年の歳月をかけた、新しい音楽体験への挑戦。

ソニーグループ(以下、ソニー)といえば、オーディオやビジュアル、ゲームといった革新的なハードウェアのイメージが強いかもしれません。しかしソニーが誇るそれらのプロダクトの多くは、実はさまざまなソフトウェアの技術によって支えられています。最新のワイヤレスノイズキャンセリングステレオヘッドホン「WH-1000XM6」※1もまさにその一つ。進化を続けるソニーのヘッドホンが創り出す音楽体験は、まさにソフトウェア技術の結晶です。特に、あらゆるステレオ音源をリアルタイムで映画館のような立体音響へと変貌させる「360 Upmix for Cinema」※2は、その象徴といえるでしょう。
今回の記事では、この最先端の音響技術開発を牽引したソフトウェアエンジニアである山嶋さんにインタビュー。いかにしてこの新しい音楽体験を実現したのか。そして、ソニーで働くソフトウェアエンジニアならではの魅力や喜びに迫ります。
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1000Xシリーズおよび「WH-1000XM6」に関する詳細は、1000Xシリーズコンセプトサイトへ
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「360 Upmix for Cinema」に関する詳細は、WH-1000XM6 特長紹介ページへ
3歳からピアノを始め、ドラムとバンド活動に打ち込んだ青春時代。
── 山嶋さんはプライベートでもドラム演奏を行うなど、日頃から音楽に親しんでいるとお聞きしました。山嶋さんと音楽との出会いについて教えてください。
両親が楽器メーカーに勤めていたこともあって、生まれたときから生活の中に音楽がありました。3歳からピアノを始め、いわゆる音楽教室に通って音感トレーニングをしていたことで絶対音感も身につきました。中学生になってからはドラムにのめり込んで、本当に毎日ドラムを叩いていましたね。
── サラッとおっしゃいましたが、絶対音感をお持ちなんですね!
幼少期から音に触れていればある程度身につくものだとは思いますが、今の仕事に生かされている部分はありますね。
その後、高校生のときには友達とバンドを組んで、バンド活動に明け暮れていました。ミュージシャンになりたくて、ソニーミュージックに音源を送ったこともありました。実はわりと良い反応をもらえたのですが…通っていたのが進学校だったこともあり、バンド仲間の友人たちが皆、受験勉強が忙しくなってしまったため断念しました。
大学では音響設計について学びながら、再びバンド活動に打ち込んでいました。高校時代から続けていた楽器演奏だけでなく、レコーディングにもハマり音源づくりにも熱中し、ライブハウスで働きながら、PA※をやったりレコーディングをやったりしていました。
※PAとは、Public Address(パブリックアドレス)の略で、ライブハウスやコンサート会場で、最適な音を調整して届ける仕事のこと。
── 楽器演奏を始めて、バンドを組んで…というところまでは、音楽好きな方なら通る道のような気がしますが、レコーディングに興味を持つあたりに山嶋さんならではのものを感じますね。
そうかもしれませんね。レコーディングスタジオで使われるようなモニタースピーカーが家にあり、そういった音響機材が身近な存在でした。音楽は自分で演奏することだけじゃなく、聴くことも、機材に触れることも全部好きでしたね。だから、ミュージシャンにもなりたいけど、レコーディングもやりたい!という思いがありました。

6年間こだわって、粘り続けたからこそ。
── 機材への興味が、山嶋さんの専門である音響信号処理のエンジニアリングへと繋がっていったんですね。
はい、新卒で入社した前職ではカーオーディオやモバイル向けにオーディオ信号処理チップ(半導体チップ)を作るというところからキャリアをスタートして、本当にたくさんのことを経験させてもらいました。
中でも印象に残っているのは、信号処理のソフトウェアをハードウェアと切り離して販売するというビジネスを、自らで立ち上げたことです。もともと私は、ハードウェアと比較してソフトウェアは開発プロセスも短く、製造コストがかからないという利点があり、付加価値を創るビジネスとして可能性を感じていました。もちろん実際にビジネスを立ち上げてみると難しいことも多く、想像以上に苦労もありました。それでも、事業を軌道に乗せるまであきらめず、粘り強く取り組んだ経験が今に繋がっています。
── ソニーに入社されてからは、どういったことをされてきたんでしょうか。
入社後半年くらいはサウンドバーのプロジェクトに携わり、その後しばらくして、自分の部屋をつくりました。
── 部屋、ですか?
部屋と言ってもそんなにたいしたものじゃなくて、スピーカーをいっぱい並べた会議室のような感じですけどね。当時はまだソフトウェアの部門の中にオーディオ信号処理の開発ミッションが無くて、信号処理の開発はハード部門とR&Dが担当していました。ですが、私はオーディオ信号処理の領域で、ソフトウェアでもゼロイチの開発(0から1を生み出す開発)をやりたかったので、その部隊を立ち上げることにしたんです。社内でデモするときでも、こういう自分たちの場所があるとやっぱり気持ちが高まるじゃないですか。

── ソフトウェアの信号処理チームを立ち上げられて、そこから「360 Upmix for Cinema」の開発には、どのような経緯で携わることになるんでしょうか?
当時の課長がおもしろい方で、「こういうのがあるんだけど、やってみない?」と、いろいろなネタを紹介してくれるんです。誰も手を付けなかったものとか、手は付けてみたけど頓挫してしまったものとか。その中から生まれたのが、「360 Upmix for Cinema」です。それが2018年から2019年にかけてのことだったので、世に出る技術になるまで約6年間ですね。
── なんと!そんなところから生まれた技術だとは。あらためて「360 Upmix for Cinema」について簡単に紹介してもらえますか。
立体音響コンテンツは通常、クリエイターが制作する段階で立体音響として作るんです。
たとえばソニーの「360 Reality Audio」PA※1がそうで、ミックスまたはマスタリングの段階でそういう編集をして立体的に聴こえるように作られています。一方で360 Upmix for Cinema」PA※2は、立体音響コンテンツとして作られていないものを立体的に聴かせるという技術です。
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「360 Reality Audio」に関する詳細は、「360 Reality Audio」紹介ページへ
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「360 Upmix for Cinema」に関する詳細は、WH-1000XM6 特長紹介ページへ
── 「WH-1000XM6」に機能実装されるまで、どのような道のりを辿って来られたんでしょうか。
まず初期の開発を1年程かけてやって、ニューヨークでユーザーテストをしたところ、良い反応を得られました。そこで開発を進め、Xperia(スマートフォン)に「360 Spatial Sound」という名前で入れてみたんです。実際の製品に実装導入したのはこれが初めてでした。ただこの段階ではまだシネマ(映画)向けではなかったんです。
そこから改良を重ねていく中で、映画の音体験に課題があることに気づいたんです。スマートフォンが大画面になり、サブスク方式による動画配信サービスも充実しているため、いつでもどこでも映画を楽しめるようにはなりましたが、ヘッドホンで音声を聴いていると、ペタッとした印象がありました。特に声優さんがアフレコされているアニメ作品なんかは違和感がありました。こうした自身の実体験があり、「360 Upmix」として単に立体音響を作るというのではなく、映画館体験を作るという目標へとシフトしました。それが2021年頃で、このあたりから開発が第二段階に入り、シネマ向けの機能としてソニーの社内でも売り込んでいきました。
── 「360 Upmix for Cinema」を形にできた、成功の要因はなんだったんでしょうか?
一番は、私自身が粘り続けたことだと思います。「WH-1000XM6」に機能実装されるまでには何度も試作と失敗を重ね、チューニングを積み重ねてきましたが、絶対にあきらめませんでした。だから成功の要因は粘りだと思っているんですが、そのうえで、オーディオ信号処理にはある種の音楽センスが必要だと考えています。私はオーディオ信号処理技術があるというだけではなく、幼少期から音楽に親しみ、音楽をやってきたからこその感覚やこだわりを持つことができたのだと思います。
またもう一つ付け加えるなら、タイミングですね。ヘッドホンのユースケースがここ数年で、音楽から動画へと変わってきた、そのタイミングとも上手く合致しました。

自分が本当に良いと思ったものを形にして、反応を見ることができる喜び。
── 「WH-1000XM6」はリリースイベント※も話題になりましたね。
※ヘッドホン「WH-1000XM6」の発売に際し、ソニー・ミュージックスタジオ東京にて新商品リリースイベントが行われました。普段から音楽を楽しんでいるみなさまに、もっと音楽を深く味わい楽しんでいただきたい。そんな想いからソニーのヘッドホンオーナー様をはじめとする40名をご招待し、ゲストアーティストによる生収録・ミキシングの見学や、「WH-1000XM6」の開発に携わった4名によるトーク、立体音響の試聴体験などスペシャルなイベントを開催。
イベント当日の様子は「新商品イベント体験レポート」をご覧ください
イベント当日は私も開発者トークのコーナーに登壇して、開発にかけた熱い思いを伝えさせていただきました。「360 Upmix for Cinema」はスクラッチです。つまり既存のソフトウェアやパッケージを使わずに、アルゴリズムを完全にゼロから開発し、それを独自のソフトウェアで実現した技術です。開発にかけた6年間の思いを伝え、その結晶である「360 Upmix for Cinema」を目の前で体験していただき、その感想を聞くことができる今回のイベントは、私にとっても特別なものでした。


「6年をかけて開発した、私の血が入っている機能」と、熱い思いを語る山嶋さん。
── やはり実際に体験した感想を聞くことができるというのは、開発者としてうれしいものですか?
自分が本当に良いと思えるまでこだわり形にする、そしてそれを使っていただきその反応をダイレクトに受け取れるというのが、この仕事の醍醐味ですね。今回のイベントに限らず、今はSNSでもすぐに反応を見ることができますから、毎日チェックしていますよ。批判的なコメントを見てショックを受けることもありますけど。でもそれも含めて、自分が良いと思ったものに対しリアクションしていただけることはうれしいですね。
見えていないこと、できないことをやるのが、挑戦。
── 今後の「360 Upmix」の展開など、これから山嶋さんが挑戦したいことはありますか?
そうですね、「360 Upmix for Cinema」の改善や「360 Upmix」を展開した新しい技術などプロジェクトはいくつも動いていますが、それが挑戦かというと、ちょっと違うかもしれないですね。「こうすればできる」という道筋が見えているものは挑戦ではなくて、見えていないこと、できないことをやるのが挑戦だと私は考えています。
── これは、山嶋さんのようにイノベーションを起こしたいと考えている方へのメッセージとして聞いてみたいんですが、その「見えていないこと」「できないこと」に出会うためにはどうすればいいんでしょうか?
日々の暮らしの中で、体験するということだと思います。いろいろなことを体験して、そこで感じた違和感とか不満を覚えておいて、理想の状態を考える。すると、現状と理想のギャップがわかるので、それが次の技術開発につながっていきます。
体験しないと、感覚は磨かれません。いろいろな音を聞いていないと、音の体験を開発することはできません。そういう意味では、ぜひ「WH-1000XM6」で「360 Upmix for Cinema」を実際に体験してもらいたいのですが、なかなか高価格帯の製品ですので… まずはソニーストアや家電量販店の売場ででもいいので、「WH-1000XM6」も含めいろいろな製品で音を聴いて、音の違いを体験してみてください。

<編集部のDiscover>
山嶋さんにお話しを聞くまで、ヘッドホンをはじめオーディオ機器などのプロダクトの大部分をソフトウェア技術が支えていることを(たいへん恥ずかしながら…)知りませんでした。そして、それら技術が、単に「技術」によって生み出されているわけではなく、その領域(山嶋さんで言えば「音」)に対する専門知識や感覚、好奇心やこだわり、そして絶対にあきらめないという信念によって初めて作られるものであることも、今回のインタビューを通して学びました。こうした掛け算によって、ソニーの新しい技術、新しい体験は生まれてきているんですね。










